Endless SHOCK 2023 感想

※ネタバレ

これを書いているのは、5/28(日)で、私は千秋楽にも入る予定なので厳密にいうとまだ書かないべきなのかもしれないんだけど、気持ちが収まらないので書いてしまおうと思います。

 

私が今年のEndless SHOCKに入ったのは本当にたまたまで、コロナの状況が落ち着いてきたのと、久々にSHOCK見たいな〜という気持ちだった時に友だちも同じように見たいと言っていたので、じゃあ連番しましょうということで応募しました。
ただ、私はもともとSHOCKという作品に並々ならぬ思いがあったのは確かで、2016年3月、禁欲的な受験生活を終えて初めて見に行ったジャニーズ現場がSHOCKでした。私の受験生活はマジで禁欲的でテレビもほぼ見ず、髪も一年切りに行かず、すげえ状態だったので、当日、見に行ったEndless SHOCKはそれはもう衝撃的で、ああこれがジャニーズのエンターテイメントかと感動しました。
あれから7年。学生時代はその後暗黒時代が続くのでほぼオタクっぽいことはしておらず、就職と同時にコロナが襲来するので、7年も空いてしまいました。

初回、私たちが入ったのは、一回後方のサブセンで、それなりによく見える席でした。
ていうか帝劇ってどこ入ってもよく見える。演舞場の見切れは見習ってほしい。

幕間、友だちと「やばいよね!?」と言い合い、パンフを買いました。またパンフに書いてあることが最高で、「うっそもう一冊買お!?」となるほどでした。

終わって、私はもうヒロミツの虜でした。
私は2016年の記憶として、そもそも光一担自我で見に行ったこともあったかもしれませんが、「光一さんがかっこいい舞台」としてSHOCKのことを認識していました。だってライバルって幼稚で、ムカつくんだもん。多分見に行ったとき私自身がまだ高校生でライバル役の機微がわかるような年齢でもなかったことも関係しているのでしょう。
しかし、ヒロミツのライバルは、そういうこと抜きにしても最高でした。Eternalという作品が生まれ、ライバル役がより掘り下げられたから解像度が上がった面もあるにせよ、ヒロミツの作り上げるライバルは、切なく、悲しく、どこか子どもっぽい、ことすら寂しい、ようなライバル像でした。
中でも、私が一番気に入ったシーンは、本編の二幕前半のシェイクスピアのシーン。「コウイチがやりたかった」シェイクスピアの悪夢にヒロミツがうなされ続けるシーンですが、コウイチがヒロミツを置いて行こうとするのに対し、「どこ行くの……」と問いかける声のか弱さったら。つまり、ヒロミツはまだ、コウイチに甘えていたんですよね。あんな風にライバルとして対等にやっているようだったけれど、どこかでリカと同じように「あなたの背中を追いかけていたかった」部分もあるのではないかと思う。ヒロミツにとってコウイチとは、いつも先を照らす光であり、それでこそスターだったはずです。
しかし、ヒロミツは「どこ行くの……」とかぼそい声で問いかけたあと、きちんとシェイクスピア劇の中のヴィランを引き受けます。これがヒロミツというキャラクターの魅力その2だと思っていて、ちゃんと「引き受ける」ができるんですよね。自らの役割が、コウイチに対する悪役だというのなら、それも全部引き受ける。
「コウイチに甘えたい気持ち」と「悪役の引き受け」の間で引き裂かれそうなヒロミツの葛藤が全て出ているのがあのシェイクスピアのシーンで、私はあのシーンをすごく気に入っています。その直後のコウイチが復活したシーンでは、シェイクスピアの悪夢から覚めきっておらず、あのシェイクピアの筋書きのように「俺もリカもコウイチの犠牲者だ」と言った後に「俺を哀れだと思うなら刺してくれ」と言う(うろ覚え)。この周辺のヒロミツまじで哀れで好きでした。構成としてもシェイクスピアをやったことに後々から意味が出てくる構成がうますぎる。あそこだけでもYouTube上げてくんないかな。

また、この物語の中で、「リカ」という女の子が出てきます。これはあまり大きな声では言えませんが、この物語の中の「リカ」はトロフィーであるということができる。おそらくヒロミツは本当にはリカのことなんて愛していなくて、ただ、コウイチに勝つというお題目の上でリカを「落としたい」わけなんですよね。それが綺麗に現れていたのが、何度かリカに向かってヒロミツが怒鳴るシーンで、中でも「コウイチがいたからこのショーは成り立ってたんだよ」みたいな地雷を踏み抜くリカに「お前は黙ってろ!」と叫ぶヒロミツは、この物語が、どこまでも男と男の物語であることを明らかにするようでもありました。結局、リカを媒介にして、「愛している」「大嫌いだ」と言い合っているヒロミツとコウイチの図、というのがこの物語全編を通じてのテーマだったんじゃないかと思います。

そして、Eternalの方で、「お前になりたかった」「お前さえいなければ」が出たのは、いや〜〜〜堂本光一天才としか思えない。男男クソでか感情の鉄板ですよね。ヒロミツはコウイチを超えたかったわけでもコウイチに勝ちたかったわけでもない、コウイチとしてショーに立ってみたかった。それはきっと、あの屋上で雨に降られながら踊るコウイチを見て、ああこいつには届かないと知った瞬間からだったのでしょう。それでも、ヒロミツはよく頑張りました。ほんとヒロミツ頑張ったと思う。コウイチという圧倒的才能に平伏しながらも、それでもなんども負けるかと立ち上がってやってきた。その営みに感嘆する。これはアンリーにキレられそうな感想ですが、コウイチに比べてライバルの人間性が掘り下げられているのは、光一さん自身が隣に堂本剛という圧倒的才能を置いていたからなのではないかと思うことがあります。いつもジャニーさんが褒めるのは剛さんばかりで、怒られてばかりだったという少年期。圧倒的に歌もダンスも上手で喋りも(昔は特に)上手だった剛さん。その隣で王子と置かれた光一さんにどのような葛藤があったのか、想像するのは野暮な話ですが、だからこそ、「圧倒的才能にひれ伏しそうになりながらも何くそと立ち向かっていく男」への解像度が非常に高いし、それへのリスペクトがある。パンフで北山さんはこの物語はライバル役が引っ張っていくものだからという旨の言葉を光一さんから頂いたとおっしゃっていますが、それくらい、物語はライバル役を中心に進んでいきます(本編・Eternal問わず)。また、才能の話でいうと、パンフの北山さんの「99%と1%の1%の部分」のお話や「勝利はライバル役っぽくない」的な話から、北山さん自身が自分を「ライバル」側に置いている、つまり、才能はないけれど泥臭くやっていく人物として捉えており、光一さんもそう捉えていることにも胸が詰まります。

私は内部舞台のいいところは役名が基本本名であるところだと思っていて、どうやってもその役柄を演じたことが、その人の人生に影響してくる。きっと光一さんはコウイチという役柄に出会ったからこそ、「Show must go on」というセリフに二十年以上の時間向き合い続けてきたのでしょうし、北山さんが「SHOCKは僕の人生観を変えた作品」とおっしゃるのもそうでしょうし、とにかく、これからSHOCKが彼らの人生にどのようにリンクし、影響を与えてゆくのか、ということについても注視していきたいと思っています。

ここまでは物語の話をしてきましたが最後に少しだけ演出の話を。
あの〜とにかくジャニーズの舞台では太鼓だフライングだ裸だピエロだトランポリンだ、まあいろんなエンタメが入り混じってわけわかめコンテンツになりがちなのはみなさんご存知かと思います。それこそが「トンチキ」だ、と言ってしまえばそれまでで、私と友人はこれを「社長の見た白昼夢」と呼んでいるんですが、とにかく筋が通っていない。なぜ太鼓を叩く必要があるのかわからないし、なぜフライングする必要があるのかわからない、そこに当惑させられるのが内部舞台の特徴っちゃあ特徴だと思うですが、SHOCKにはその戸惑いがないです!!すごい!!これまじですごいと思う!!エンターテイナーの条件か何かで光一さんが、よくジャニーさんと喧嘩して今のSHOCKの筋書きにしていったというような話をしていますが、だからこんな素晴らしい舞台を作り上げられたんだなと思います。ジャニーさんと喧嘩できる人なんて他にいなかったもんね。
例えば、殺陣のシーンだって、物語上、「ジャパネスク」という演目をやっているから殺陣が必要になる。時代設定がいつなのかはわかりませんが、その時代に日本人がそれらしいことをやってウケたと考えるとかなり前……ではヒロミツやコウイチやリカは日本人コミュニティで貧乏に暮らしていたんじゃないか? とか想像すらできてしまいます。
太鼓のシーンもフライングのシーンも何もかも全てに意味があり、無駄がない。だからこそ三時間にも及ぶ演目が短く感じられる。もちろんショータイムなんて必要ない。物語の中に十分なショータイムが編み込まれているから……。
まじで私は少年たちとか歌舞伎とか松竹のやつしかネトフリで発信されていないのが悲しくて、東宝も頼むよ、全然こっちの方が「正統」だったじゃん(諸説)。帝国劇場というこれ以上ない舞台で演じられるEndless SHOCK、私は誰が何を言おうとこの作品がジャニーズの今の舞台の「王道」であり、「至高」であると信じています。


なので、何が言いたいかと言うと、円盤化お願いします!!!!!!!!!

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